デジタル遺跡説明会001 

「前橋市後二子古墳」

解説

平成3年10月13日(雨)
 この日は雨のなか多数の見学者でにぎわった。傘がぶつかり濡れてしまうような盛況ぶりであった。
 国指定遺跡の後二子古墳を始めとする西大室地区は前二子、中二子、後二子、小二子と4基の前方後円墳を含む古墳群で知られる遺跡地である。
 後二子古墳は明治11年(1878)石室が開口され、太刀4振・耳環11個・須恵器高坏1個・堤瓶1個・轡1個が出土されたことが記録として残っている。 昭和27年と昭和32年に群馬大学史学研修室の尾崎喜佐雄教授により石室と墳丘の調査が行われた。今回の調査で後二子古墳は1重の堀、全長約100m(周堀を含む)、周堀の深さは1m程度(後円部の東側では2m以上)、周堀の幅は南側で9〜13m、北側で13〜16m。
@墳丘は傾斜地を利用して基壇部分を造成盛土して造られている。
A2段築成の墳丘部は黒色土やローム土を盛土して造られている。墳丘の全長約 82m、前方部の幅57m、高さ約8m。くびれ部の幅約40m、高さ約6m。 後円部の直径約48m、高さ前方部と同じで約8mであった。
 基壇面から円筒埴輪が1列全周していることがわかった。埴輪列は南側より北側に密に設置されていた。また円筒埴輪のほか朝顔形埴輪・人物埴輪・馬などの形象埴輪の破片も出土している。墳頂部付近からも円筒埴輪と家型埴輪の破片が出土している。
 石室は後円部の南側に開口し、自然石乱石積みの両袖型横穴式石室となっている。石室の床面は基壇面より低くなっている。石室の規模は全長8.5m、玄室長5m、玄室幅2.6m、玄室高2.3m、羨道長3.5m、羨道幅1.7m、羨道高2.3mとなっている。
@傾斜地を利用し盛土の量を極力節約している古墳である。
A石室墓道は基壇面を溝状に掘り込んでいることがわかった。
B羨道部は階段状に下り石室内に通じる事がわかった。
C後二子古墳は堀の幅や円筒埴輪列の設置間隔の違いから北側から見ることを意 識した古墳と思われる。
D明治11年の出土遺物と今回の石室前からの出土遺物から後二子古墳は6世紀 の中頃から後半にかけて造られたものと考えられる。
今回の確認調査の結果をもとに後二子古墳の整備計画を立て歴史的景観を活かした整備が行われた。

遺跡説明会の様子を見る。

遺跡説明会の模様を表示しています。(各約50KB)順路順です。
1 前方部での説明

2 埴輪出土状況

3 前方部北西隅埴輪列調査状況

4 後円部北側から

5 中央部横断 東側周堀土層断面(南壁)

6 中央部横断トレンチ東側から後円部を望む

7 中央部横断 東側周堀土層断面(北壁)

8 墓道

9 墓道東側埴輪列

10 石室内

11 くびれ部調査状況

12 後二子山古墳 入口(前方部)石碑


現在の状況 (平成13年2月2日現在)

 

topへ