遺跡概要 |
登呂遺跡は弥生時代後期の農村の跡で、静岡平野の南東部、安倍川のつくった扇状地の端の微高地とその周辺の低地にあります。全体の面積は約110,000uで、集落と水田を含めた59,900uが特別史跡に指定されています。
戦争中の昭和18年、軍需工場建設の際に遺跡は発見されました。その後、昭和22年から4年間、考古学者だけではなく建築・地理・植物等の専門家も交えた日本で初めてのの学際的な発掘調査が行われ、弥生時代の農村の様子が初めて明らかにされました。昭和40年、東名高速道路建設に伴う発掘調査により水田はさらに南に広がることが確認されました。
調査の結果、集落部分からは平地式住居跡12軒、高床式倉庫跡2棟、井戸3箇所が発見され、その周囲には森林跡も発見されました。集落の南側には矢板で護岸された畦と灌漑用水路で区画された水田が約75,000u広がっていることがわかりました。また、土器(壺・甕等)、木製品(農具・建築部材・機織具部材等)、石製品(工具・漁労具)、金属製品(装身具等)、骨角製品(漁労具等)等の多種多様の豊富な遺物が出土しました。
登呂遺跡の調査は、神話から科学的歴史研究への転換点としての意義があります。調査後、日本で最初の本格的遺跡公園として整備され、永年にわたって親しまれてきました。それから50年、平成9年からは再整備に向けて新たな発掘調査を開始しました。
(静岡県教育委員会『文化財ガイドブック−原始・古代の史跡−』(平成10年2月1日)より) |