東京都のおもな遺跡の詳細

ふりがな しおどめいせき
遺跡名 汐留遺跡
ふりがな とうきょうとみなとく
所在地 東京都港区東新橋一丁目5番地外
発掘期間 平成3年3月から現在まで継統中
発掘機関 汐留地区遺跡調査会、東京都埋蔵文化財センター
主な遺構 江戸時代の大名屋敷(播磨国龍野藩脇坂家・陸奥国会津藩松平家・陸奥国仙台藩伊達家)に関連する遺構類(建物の基礎・屋敷区画堀跡・庭園池など)、旧新橋停車場に係わる鉄道関連施設(駅舎・プラットホーム)・転車台・溶鉱炉・発電所など
主な遺物 江戸時代の陶磁器、伍手稿停車場関係遺物(レール・汽車土瓶・乗車券など)
遺跡概要 江戸時代の大名屋敷(龍野藩脇坂家・会津藩松平家・仙台藩伊達家)に関わる遺構と遺物が多数検出されている他、この3藩の屋敷跡に明治5年に開業し、大正12年の関東大震災で倒壊あるいは焼失したと見られていた「新橋停車場」の駅舎跡とプラットホームが検出されている。
現在の状況 大名屋敷の遺構群はすべて消滅しているが、「旧新橋停車場」の駅舎跡とプラットホームの一部は国指定史跡として保存されている。


ふりが おおもりかいづか
遺跡名 大森貝塚
ふりがな とうきょうとおおたくさんのう・しながわくおおい
所在地 東京都大田区山王一丁目一品川区大井六丁目
発掘期間 明治10年9月
発掘機関 エドワード・S・モース
主な遺構 縄文時代の貝塚
主な遺物 縄文時代の土器(後期・晩期)・石器・土版・骨角器など
遺跡概要 日本における最初の学術的な発掘調査が行われた記念すべき遺跡。貝塚の正確な地点については大正末頃にはすでに不明になっていたため、貝塚の記念碑は大田区側と品川区側の両方に建てられている。その後、品川区側で貝塚の確認調査を行ったところ貝層の一部が残っていたため現地は遺跡庭園として保存され、整備されている。
現在の状況 遺跡の大部分は消滅しているが、その後に発見された貝塚の一部が品川区側に遺跡庭園として保存されている。国指定史跡


ふりが なかざとかいづか
遺跡名 中里貝塚
ふりがな ときょうときたくかみなかざと
所在地 東京都北区上中里二丁目
発掘期間 平成8年7月24日〜平成9年2月5日
平成11年9月8日〜平成12年3月3旧
発掘機関 中里貝塚調査団(北区教育委員会)
主な遺構 土坑、木道、杭列
主な遺物 縄文土器(少量)、自然遺物(ハマグリ・マガキが大量)
遺跡概要 本貝塚は、明治19年に「中里村介塚」として学会誌に報告され、研究者には注
目されていたが、出土遺物が乏しいことなどからはたして人工の貝塚か自然の
貝層かという議論もあり、ほとんど学術的な調査が行われることはなかった。
貝塚の発見から約一世紀後の平成8年、公園整備に伴う調査が行われ、厚さが
4.5mにも達する貝層とともに、貝を処理したと見られる遺構や、貝層中から
縄文土器片が数点検出されたことなどから、本貝塚は縄文時代の人工の貝塚で
あることが判明した。貝塚の規模は日本最大で、幅100m、長さ500m以上の
範囲に広がっているものと考えられてい
現在の状況 発掘調査の行われた上中里二丁目広場と上中里二丁目8番先のマンション建設予定地については、現在、公有地化されて保存されている。国指定史跡。


ふりが むさしこくぶんじあとかんれんいせき・ひかげやまいせき
遺跡名 武蔵国分寺跡関連遺跡・日影山遺跡
ふりがな とうきょうとこくぶんじしいずみちょう
所在地 東京都国分寺市泉町二丁目1番地
発掘期間 平成5年11月15日〜平成11年3月31日
発掘機関 西国分寺地区遺跡調査会
主な遺構 旧石器時代:礫群
縄文時代:竪穴住居跡・陥し穴・集石
奈良・平安時代:道路状遺構・溝跡ほか
主な遺物 旧石器(尖頭器・ナイフ形石器ほか)、縄文土器・石器、須恵器・土師器など
遺跡概要 本遺跡は旧石器時代、縄文時代、奈良・平安時代の3時期にわたる複合遺跡で
あるが、特に奈良時代に整備された古代官道の1つである「東山道武蔵路」の
発見が特筆される。遺構としては、両側に側溝を持つ幅12mの道路跡が、ほぼ
南北に直線状に340mにわたって検出されている。
現在の状況 道路跡は埋め戻して保存されおり、その上に「東
山道武蔵路」が当時の規模で復元されている。


ふりが やよいにちようめいせき
遺跡名 弥生二丁目遣跡
ふりがな とうきょうとぶんきょうくやよいにちょうめ
所在地 東京都文京区弥生二丁目
発掘期間 昭和50年2月10日から約1か月
発掘機関 東京大学考古学研究室
主な遺構 溝(環濠)、溝状遺構(方形周薄暮)の一部
主な遺物 弥生時代の土器(後期)
遺跡概要 「弥生式土器」命名の契機となった壷形土器が発見された文京区本郷向ケ岡弥
生町の「向ケ岡貝塚」は、学史上重要な遺跡であるにもかかわらず、その所在
地が不明となっていた。その後、1975年に佐藤達夫氏が発掘調査した東京大学
構内の文京区弥生二丁目11番地に所在する「弥生二丁目遺跡」が、向ケ岡貝塚
の一部ではないかと考えられている。
現在の状況 「弥生式土器発掘ゆかりの地」は都旧跡
「弥生二丁目遺跡」国指定史跡

topへ